お鈴のとりあえず毎日

マレーシア人の嫁とホーチミンで暮らすお話。

第29話 2020年と620

~謹賀新年~

昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。

本年も皆様にご満足いただけ執筆を心がける所存でございますので、 何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。

皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈りいたします。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 


さて2019年の12月に日本行きの激安チケットを発見してしまい、急遽年末年始を日本で過ごさせていただいた。と言っても1/1の朝5時にバスに乗らないとホーチミンに戻れない激しい日程だった。安さには理由がある。

年末の28日に、成田に到着するも準備不足の僕は短パンTシャツ姿でJAPANに舞たった。さりげなく嫁、息子は手荷物に防寒着を準備していたので僕は強がることに全神経を捧げた。一刻も早く預けてているラゲッチバックの元に向かいたいが状況を全く理解していない息子の「ウンチー」の一言で、到着ゲートの最も近くのトイレ前で鳥肌の数を永遠に近い時間数えるハメになった。620をカウントするかしないかで意識は飛びかかりそこから先は覚えていない。

記憶がつながったのは暖かい缶コーヒーを片手にガッチリ着込んで喫煙所でタバコに火をつけるところからだ。人間は生命を維持させるために一時的にあらゆる機能を制限していくと昔キリマンジャロに挑む登山家の方が言っていたが、あれはそれだったのではと思っている。

到着後、東京で1泊して地元に戻った。年末に日本にいる事が12年ぶりだったので地元の友人に忘年会をやろうと誘っていた。翌日の忘年会を前に成田でのサブイボカウント事件の後遺症なのか激しい喉の痛みと熱のダブルパンチをもらってしまい寝込んでしまった。寝込んだその日は爺様婆様を含めた家族での食事会があったが、それは息子と嫁に任せて僕は家で明日に控えている忘年会に照準を合わせてひたすら寝込んだ。

当日はやや回復するも若干の不安を抱えていた僕は、ルル6錠+ユンケルという体力の前借りを実施して忘年会にのぞんだ

午前3時ごろに魔法がとけて再び生命を維持させるためのモードに入ったあたりから記憶がなくなってしまった。翌日は泥のように眠っていたようで、嫁、息子のせっかくの日本での時間をせまい実家で過ごさせてしまった事はやや反省する。

 

 

 

逆境にはそれより大きな成長の種が隠されている。