お鈴のとりあえず毎日

マレーシア人の嫁とホーチミンで暮らすお話。

第33話 夏休みと六本木

息子も一年生になり始めての夏休み。最終日に宿題を嫁に詰められながらやっていた。

夏休み中の日記を毎日しっかり書く子供なんて少ないと思うが、8月4日の日記を、20日に書いて「8月4日、忘れちゃった。」とあったのを見て正直に育ってくれていると嬉しくなった。

僕は始業式に持って行く物を準備していたわけだが、12色の色鉛筆が黄色と緑の2本を残しスカスカになっていた。息子にどうしたのか尋ねると「あげた。」との回答。優しさも持っているようだ。

ちなみに息子は夏休み中に2週間嫁の実家のマレーシアに行き、帰ってきたら嫁が5kg太っていた。そんな事あります?

 


最近どーしても梨泰院クラスが観たくてあれこれしたが、結局観れていない。代わりに六本木クラスから入る邪道スタイルをとっているんだが、自分が飲食業をしている事もあり非常に面白い。ホーチミン、パクセロイでGoogle検索1位になった当時、意味も分からず流していた自分を恥じる。現在2位。

※その当時も今もパクセロイの髪型をした事もないし、パクセロイも最近知りました。あの髪型が似合う自信はある。

 

 

 

「なにを言うか」が、知性

「なにを言わないか」が、品性

「茹でるとうまいの」が落花生

第32話 一億総特攻時代とウォシュレット

最近ハノイで1人暮らしをしている。久しぶりぶりの1人暮らしで俺の竹の子の里は常にスタンドバイミーのため、暇を持てあました神々の1人遊びに余念がない。

というのも人生で初めてウォシュレットがついた部屋を借りたからに他ならない。僕は毎朝おはようと同時に元気とうんこを出すのだが、ウォシュレットのせいで竹の子里スイッチがあげられ、神々の遊びに興じてしまうわけだ。これは魂の解放であり、一億総特攻なのである。

魂が解放された今日もハノイからお送りする。

 


さて、上記でも軽く触れたウォシュレットだが35年近く、あたり前のように使う生活がなかった僕は今朝、元気を出している時に疑問が生まれた。

あなたが高圧洗浄をしかけてるそこは入り口ですか?出口ですか?

いくら悩んでも終わりがない、この疑問という迷路を彷徨った時間は永遠にように感じた。ただ完全な永遠なんてものは存在しない。完全な絶望がないように。

僕は旧友の勝又君にその疑問をぶつけた。彼は「その時にもう一回うんこ出そうになった時、どうする?ウォシュレットと勝負する?水圧はそのままで勝負?」と質問をまくしたて、僕の質問を退かせた。彼も答えを持っていないのだと思う。答えなどこの世の中にはないのかもしれない。

ウォシュレットに勝負を仕掛けた事さえなかった僕は静かに水を流した。

 

 

 

若者は好きにやれ。生傷はたやすな。棺桶に乗って漕ぎまくれ。

第31話 ホーチミンからの挑戦状

ハノイに来て1ヶ月が過ぎた。ハノイの湿度の高さに毎日がeverydayだ。

皆様の大きな優しさによってお店の方はポケットのありがとうが溢れる日々に感謝が絶えない。

ホーチミンはどうかと言うと、全てのお札に羽が生えているのかと勘違いさえする現状に、ゲロが止まらない。ただ、数年前の誕生日ではウンコを漏らしているので、あの頃の自分と比べれば、ゲロが止まらないなどは些細な問題だと言い聞かせ、自分の成長を正当化して精神を保っている。

さて、そんなハノイ生活中も時折ホーチミンのお店に電話をするのだが、僕の電話には誰も出ない。それはまるで相席居酒屋で初めて会う女性にいきなり下ネタを放り込んだあの時のように、誰からも返答がない。

相席居酒屋で返答がないのは、ハートを鍛えている僕からすれば問題ないが、お店の電話に誰もでんわでは商売が成り立たないのである。マネージャーにその事を伝えると、「鈴木さんからの電話だけ着信音が鳴らないです。」との返答に、「そんな電話今すぐ捨てちまえ」と声を荒げていた。ハノイのスタッフも見ているので、我に帰ったが、一人だったらその辺の木に登り枝などを揺らして威嚇していたと思う。

翌日再び電話してみるとやっぱり誰もでない。再度確認してみると、どうやら僕の番号だけ着信音が鳴らない、プチ着信拒否状態にぶち込まれていた。これはスタッフの誰かからの挑戦状だ。まさか1ヶ月でここまで仕掛けてくるのは想像できなかったが、起こったてしまった以上は臨戦態勢でホーチミンに戻らなければならない。来週、ホーチミンに行くのが楽しみだ。

 

 

 

ウンコも元気も出るもんじゃない。出すもんだ。

第30話 鈴木君と後藤君

いよいよ一年に一回程度の更新頻度になってきたこのブログだが、この数ヶ月何もなかったと言えばそうではない。やはり一番大きな変化といえば、人は未来にタイムトラベルできるのか?という問題を自分の中で噛み砕き、「できない」と結論が出た事だと思う。ただ、光の速さで動けてもろもろの影響を受けない前程で考えると、未来に行ったっきりはできそうだ。ここでの未来の定義は「自分から見た世界が幾ばくか先にある」であり、時空をまたぐ類の話ではない。つまり、全ては同じ三次元の中で起こっている話だ。これを未来だというなら、未来には行くことができる。


それでは一緒に考えていこう。反論や間違ってるところがあれば是非教えて頂きたい。


説明していくにあたり、いくつか固めて置かないといけない定義がある。
1つ目は上記の書いた未来というモノの考え方。


2つ目は光は不変だが、時間は不変ではない。という事。
どうして時間が不変ではないのかは、難しすぎて全く理解できず説明のしようがないが、どうやら動く物質の速度が光の速度に近ずくと、物質に流れる時間が遅くなるようだ。
これは一般相対性理論で立証されていて、実際にそうなったという実験もされている。有名なものだと、地上に置いた時計と、ジェット機に乗せた時計とで同じタイミングで針を動かし、ジェット機が地球を一周して同じタイミングで止めると59ナノ秒(1ナノ=10億分の1秒)の遅れがジェット機の時計に出たというものだ。


3つ目は高速で人間が動いた時に起こる時間の進み方以外のあらゆる影響を考えない。


この3つの考えを固めた上で、わかりやすく説明していく。
ジェット機程度の速度でも時間に遅れが出るという事は、光の速さで動いている人はもっと時間の流れが遅くなる。ここでは簡単に光速時の時間の進み方を10分の1で考えてみよう。
鈴木君と後藤君が同じ腕時計をしている。同じタイミングで針をスタートさせる。スタートと同時に鈴木君は光の速さで動きはじめた。後藤君は60分経過した時に時計を止める。光の速さで動いていた鈴木君も、後藤君が時間を止めたタイミングで動くのやめて時計を止める。すると後藤君の時計は60分経過しているのたいし、鈴木君の時計はまだ6分しか経過していないのだ。
これは上記の書いたジェット機の話と全く同じ考え方だ。
この考えで時間を伸ばしてみると、鈴木君が光の速さ2年動き続けると、後藤君の時間は20年たっている事になる。
鈴木君は35歳から37歳になったの対し、後藤君は35歳から55歳になり、短髪で白髪交じりの初老になっている。
鈴木君は2年しか時間がたっていないのに、後藤君は20年たち初老になっている、この状況は鈴木君から見ると未来である。


ここでの未来とは何かを予言できるというわけでもなければ、また過去に戻れるものでもない。ましてや、鈴木君が過去、現在で2人存在するという話でもない。同じ現在で、時間の流れ方が鈴木君だけ遅くなっただけの話だ。ただ、光速で動く事をやめた鈴木君から世界を見ると、少し時間が先に進んでいるという話。それを未来というなら、いつか未来に行けるんだろうと思う。

 

 


全盛期という物は常に未来にある。

 

第29話 2020年と620

~謹賀新年~

昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。

本年も皆様にご満足いただけ執筆を心がける所存でございますので、 何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。

皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈りいたします。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 


さて2019年の12月に日本行きの激安チケットを発見してしまい、急遽年末年始を日本で過ごさせていただいた。と言っても1/1の朝5時にバスに乗らないとホーチミンに戻れない激しい日程だった。安さには理由がある。

年末の28日に、成田に到着するも準備不足の僕は短パンTシャツ姿でJAPANに舞たった。さりげなく嫁、息子は手荷物に防寒着を準備していたので僕は強がることに全神経を捧げた。一刻も早く預けてているラゲッチバックの元に向かいたいが状況を全く理解していない息子の「ウンチー」の一言で、到着ゲートの最も近くのトイレ前で鳥肌の数を永遠に近い時間数えるハメになった。620をカウントするかしないかで意識は飛びかかりそこから先は覚えていない。

記憶がつながったのは暖かい缶コーヒーを片手にガッチリ着込んで喫煙所でタバコに火をつけるところからだ。人間は生命を維持させるために一時的にあらゆる機能を制限していくと昔キリマンジャロに挑む登山家の方が言っていたが、あれはそれだったのではと思っている。

到着後、東京で1泊して地元に戻った。年末に日本にいる事が12年ぶりだったので地元の友人に忘年会をやろうと誘っていた。翌日の忘年会を前に成田でのサブイボカウント事件の後遺症なのか激しい喉の痛みと熱のダブルパンチをもらってしまい寝込んでしまった。寝込んだその日は爺様婆様を含めた家族での食事会があったが、それは息子と嫁に任せて僕は家で明日に控えている忘年会に照準を合わせてひたすら寝込んだ。

当日はやや回復するも若干の不安を抱えていた僕は、ルル6錠+ユンケルという体力の前借りを実施して忘年会にのぞんだ

午前3時ごろに魔法がとけて再び生命を維持させるためのモードに入ったあたりから記憶がなくなってしまった。翌日は泥のように眠っていたようで、嫁、息子のせっかくの日本での時間をせまい実家で過ごさせてしまった事はやや反省する。

 

 

 

逆境にはそれより大きな成長の種が隠されている。

第28話 チャンピオンと法則

お久しぶりにも程があるが、久方ぶりにブログを更新していこうと思う。

というのも、まさに昨日なのだが、我が家の伝説のチャンピオンでもある嫁から強烈なディスをボディーに受けてしまった。たまらずワンダウンを許したものの、底から湧いてくる怒りを抑えることなど出来ず、慌てて執筆をはじめる事で自我をコントロールしようとしている。
最近は息子の休みに合わせて、日曜日にお休みをいただく事が多い。昨日もお休みを頂き息子の頭をマルコメに仕上げた。昼飯も食べ、息子はお昼寝タイムに突入したので僕も遊びに行こうと支度を始めた。するとチャンピオンから「毎日遊んでいるんだから、日曜日くらい家にいれば?」との強烈なボディーをおみまいされた。あまりのパワーワードに言葉なくうずくまる事しか出来なかったよ。少し前の僕ならその辺の木に登り、激しく枝を揺らすなどの威嚇行動を取っていたと思うが、チャンピオンからのキレッキレの嫌味に膝から崩れた。
ただ、僕の中の荒ぶる闘魂が底から湧き上がるのを確かに感じ取っていた。夕食までいつもの5倍くらいのタバコを消費して考えた結果、週6日遊ぶのも7日遊ぶのも対して変わらないという方程式を導き出すことに成功した。6=7の法則だ。
チャンピオンが作った美味しい食事を息子と食べ、僕はタバコを買いに行くと残し夜の街にくりだした。強い物と闘う時は、ただただ自分を信じればいいのだから。


翌朝にわかったが、6=7の法則は成立しないようだ。訂正して謝罪を申し上げたい。

 

 

 


その夢は必ず次の誰かにつながる。だからひたすらに掘ればいい。

 

第27話 バリカンとまゆげ

少し前のブログにも書いたが、髪の毛が硬いせいか、よくバリカンが壊れる。先日も切っている途中に動かなくなってしまい、息子のバリカンを借りて仕上げた。俺のことをウイルスか何かと勘違いしている嫁は、息子のバリカンを僕が使う事を嫌がっていた。その動きにイラッとしたので、息子のバリカンを洗わず無造作に洗面台に放置して俺はバイクで出勤した。平成の終わりを感じる風が頬をかすめ、坊主にしたばかりの頭皮はヘルメット中で湿った。

昨日はベトナムで3台目となるバリカンを買いにいつもの電気屋に行った。平日という事もあってか、お客さんより従業員の方が多いことをエスカレーターで気にしながら最上階に向かった。最上階の小さなスペースに4種類のバリカンがあり、どれにしよう迷っているとスタッフさんがプレッシャーをかけてきた。そのプレッシャーは無言で近くにたたずむというパターンのマークだったので、背中で「俺は坊主のプロだ。」と言わんばかりに4種類のバリカンを触っては首をかしげるという動きで応戦した。

普段なら一番安いやつを買うのだが、隣にある充電式のものに心が動かされていた。「世界はこれからAI、人工知能時代なのに、俺はコードレスのバリカンさえ買ったことがないなんてマズイ!時代に取り残される。」

もう気持ちを抑えることなんてできなかった。


意気揚々と帰宅。


お侍さんが新しい刀を手にすると試したくなる。まさにそんな気持ちだった。

新しいバリカンはなめらかで、いつもの半分ほどの時間で作業が終わった。定食食べたけど、まだちょっと食べたい時と同じ感覚が、洗面台の僕にそろりそろりと近ずいてきた。

まゆ毛しか残されていない。それはもう偶然でも運命でもない、必然だった。

自分に嘘なんてつけるはずがないのだから。

 

 

 

恐るならやるな、やるなら恐るなら。